齢53歳、過ぎし歳月を振り返ってみると、病の荷を背負われ、いばらの道を歩んできた日々であった。
そんな私が竹塩を知り、還暦をひかえた時点で病魔を退け、その束縛から解放されたのである。
幼い時から多かれ少なかれ雑病に苦しめられた私は1993年の初め胃痙攣で病院に入院した。
その後、回復はしたものの、後遺症として食物をよく吐くようになった。
それ以降10年間あまり、色々な疾病に苦しめられ病院の薬を頼って生きるようになった。
その上、1985年からは蓄膿症を手術した側の頭が重く、ひどい頭痛が伴う症状が重なっていた。
よいという薬は全て飲み、良いという病院はあちこち通ってみたが、病状は好転する兆しは見えなかった。
食物を食べると腸の中にガスがたまって胸やけして必ず吐き、虫酸が出、大便は細く手足は冷たく、
気力は落ちてよく腹を立てるようになった。
記憶力も落ちて寝そびれるのがお決まりだったので、人生が終わってしまった感じであった。
結局は私の病は治せない事を知り、不安の中で暗うつな日々を過ごさなければならなかった。
私は暗闇で一条の生命の光を見つけた。
それは、1988年のある日漢方医院に立ち寄って<神薬>という特異な本を発見してからである。
その本の中には、私が知らなかった今日の病気が生じるわけとそれに伴う治療原理が書かれていた。
私の健康をとり返す知恵が“まさにここにある”という思いで砂漠でオアシスを見つけたかのように、
<神薬>をじっくり読むこと2~3日間、まず一番簡単にできるよもぎ灸と竹塩療法を選んで、
腐ってしまった私の体を焼き、炎症のぎっしりつまった体を塩に漬けるという思いで、急いで
よもぎ灸をすえる一方竹塩を多く食べた。それから4~5日、私の体で徐々に浄化作用が起こり
私は生きる可能性を霊感で知った。
竹塩を食べてから痰がなくなり喉声がすみ、あちこち身体の窮屈だった部分がなくなった。
また胃酸過多による胃痛がなくなり、大・小便がうまく排泄されるようになった。
そして不眠症に苦しめられ冷汗をおおくかいていたが、その病状がすっかり無くなった。
長い間、苦しんできた頭痛や慢性疲労も消え去った。
体内の腐ってしまった老廃物や不純物は癒されて体が綺麗に洗われたような感じであった。
塩辛いものを食べれば体に悪いと世間では言うが、長い間にわたって苦しめられた持病を塩で
すっかり治したので病気によくかかり苦しんでいた私を知っているまわりの人々はすぐには
信じようとしなかった。
しかし塩も塩次第である。
今日の病は毒から来ているものだし、竹塩が普通の塩でなく人体の毒を抜き出す神秘なる塩である
ことを知れば充分うなずけるであろう。
亜黄酸ガスに満ちた空気、農薬と食品添加物で汚染された食物、化学物質に囲まれた生活環境、
現代人はどこにいても空気の中で生きているのだから、肉と血で動いている人がどうして耐えられようとか?
誰しもあちこち神経が使われるところがあるなら、その全てはどくによって人体が腐っていくことであろう。
昔から塩はまさにこの毒で腐っていく人体の炎症を治療し、防止してくれる役割を果たしたようである。
手術だ、病院の薬だ、と言ってザルに水を入れるようにおかねを使い尽くし、全身傷だらけになった
私がこれほど簡単に竹塩のお蔭で第二の人生を生きているので、これからの私の人生は私のように
病気を背負ってさまよえる人々に竹塩を奨める事が、私の努めるべき仕事となった。